BIOGRAPHY

 Mariah Careyは1970年3月27日(因みに金曜日)、アメリカはニューヨーク郊外のロングアイランドで生を受けました。父親のAlfred Roy Careyはアフリカ系アメリカ人とヴェネズエラ系の血を受け継ぐ黒人(2002年7月4日に亡くなられました。)で、母親のPatricia Hickeyはアイルランド系の白人。つまりMariahはハーフということで、子供時代は周囲からの差別、「WhiteでもBlackでもない私は一体誰なの?」というように苦悩の日々を送っていたそうです。Mariahが3歳の時に両親は離婚。Mariahは兄Morgan、母Patriciaの3人で苦しい生活を送ることに。姉であるAlisonは父親と暮らすことになりました。

 Mariahの母親はNYシティ・オペラのソリストで常に家庭内には様々な音楽があり、Aretha FranklinやStevie Wonderなどが子守唄代わりだったそうです。Mariah自身、3歳の時に「自分は歌手になるんだ!!」と決心したようで(雨の中ステージで歌うDiana Rossの姿を見て決心したという話もあります)、4歳頃から母親のヴォーカル・レッスンを受けるようになりました。発声や基礎を学び、あとは様々なR&Bシンガーなどのレコードに合わせて歌ったりしながら独学で歌を学んでいったようです。Mariahの特技とも言える小鳥のさえずりのようなハイノートのルーツは、有名なMinnie Ripertonの"Lovin' You"。初めて聴いた時にとても感動して自分でも歌ってみたいと地道に練習を重ねたんだとか。

 ハイスクール時代は放課後、ひたすら曲を書いたりアレンジの勉強などに時間を費やしていて、この頃後に一緒にデビューアルバムを作ることになるBen Marguliesと出会うことになります。16歳の誕生日に兄Morganがバースディ・プレゼントとして資金を出してくれて、スタジオで本格的な24曲入りのデモテープを作ったそうです。

 ハイスクールを卒業後はプロのシンガーになることを夢見て単身マンハッタンに移り住み、生活のためにウェイトレスなどのバイトを転々としていました。一方美容師にも興味があり、美容学校にも通っていたMariah。当時、かなりの貧困生活を送っていたそうです。新しい靴を買うお金があったら音楽活動に使いたいと節約生活。そんな時にBrenda K. Starrのバックコーラスのオーディションに合格。後にMariahがカヴァーすることになる"I Still Believe"はこの方の曲ですね。Brendaは「何故こんな才能を持った子がバックシンガーなの?!」とMariahの夢を理解し、本気で応援してくれるようになります。そして彼女と共に訪れたあるパーティーで会場にいた当時CBS社長であり後にMariahと結婚、そして離婚することになるTommy Mottolaにデモテープを渡すことに成功!!

 途中で会場を後にしたMottolaが帰りの車の中でMariahのデモテープを聴き直ぐに会場に戻ったようですが、そこにMariahの姿はありませんでした。なんとか後日Mariahに連絡がつき即契約となりました。

 契約成立後丸1年をデビューアルバムの製作に費やし、1990年5月、20歳になったMariah Careyは遂にデビューシングル"Vision Of Love"を、そして6月にデビューアルバム"Mariah Carey" をリリース!!Tommy Mottolaの後押しのおかげで出だしはバッチリ。ニューヨークのクラブ"TATOO"で関係者向けに行われたシークレット・ギグでは自曲に加えて敬愛するAretha Franklinの"Don't Plat That Song"も披露し(ギグの模様は映像作品"The First Vision"に収録されています)才能を惜しみなく発揮。初のテレビ出演はNBAでの"America The Beautiful"斉唱、Arsenio Hall Showでの"Vision Of Love"のパフォーマンスといったように瞬く間に全米にMariahの名前が知り渡ったのでした。

※デビュー後の主な活動についてはDiscographyのコメントを参照してみて下さい。